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ミュージシャンの政治的発言がかっこいい時代は終わった サカナクション山口一郎の葛藤とフランクザッパの皮肉が教えてくれること

ミュージシャンの政治的発言がかっこいい時代は終わった

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ミュージシャンの政治的発言がかっこいい時代は終わった サカナクション山口一郎の葛藤とフランクザッパの皮肉が教えてくれること

「歌って平和になるんならやるよ」

この一言にどれほどの本音が詰まっているか。

サカナクションの山口一郎が4月27日の自身のYouTube生配信でこう語った。

ミュージシャンが政治的発言をすることの是非。

ここ数年繰り返し燃え上がるこのテーマに彼は真正面からぶつかっていった。

山口はこう切り出している。
「どんなミュージシャンも政治に興味ないことはないよ。だって、みんな同じように生きてんだから」と。

至極まっとうな言葉。
けれど同時に「政治的なことに知識があるかどうかは別」とも。

浅い知識で語ることの危うさ責任感のなさを正直に認めている。

この誠実さにわたしは好感を持った。

「みんなの気持ちを代弁することがミュージシャンの仕事」と語る山口の姿勢は、とても地に足がついている。

評論家じゃないカウンセラーでもない。

ただ、みんなが感じている空気感を音楽にする。

それが自分の役割だという覚悟。

こういうミュージシャンの言葉はすっと胸に入ってくる。

「反戦を歌え」という圧力の正体

一方で音楽業界にはまったく別の景色がある。

「もっと政治的なことを歌え」「反戦を歌え」

SNSやメディアでミュージシャンにこうした要求を突きつける声は後を絶たない。

山口自身も「そういう人たちの気持ちはすげぇわかる」と理解を示しつつ語っている。

「でも、それをやってごらん。”バカか”って言われんだよ」

「反戦を歌ったとしても、戦争反対の人にも叩かれんだよ」

この言葉、ものすごくリアル。

SNS時代のミュージシャンが直面している現実を見事に言い当てている。

そんな中でわたしがずっと気になっているのが、共産党や特定の政治勢力に「利用される」ミュージシャンや芸能人の存在。

しんぶん赤旗には「共産党を私は推す」と題された特集が定期的に組まれ、音楽プロデューサーの松尾潔や作曲家の池辺晋一郎など複数の音楽関係者が寄稿している。

うじきつよしは赤旗紙面で「戦争絶対反対」「自民を取り換え」と語り小泉今日子は2020年に赤旗日曜版の1面で対談。

武道館ライブでの憲法9条に関するメッセージも党関係者から好意的に紹介されている。

もちろん個人の信条として政治的な発言をするのは自由。
誰だって戦争は嫌だし平和がいい。

それ自体を否定する人はいない。

でもここからが大事なところ。

多くの日本国民が感じているのは、特定の政党の「広告塔」になってしまったミュージシャンや芸能人に対するなんとも言えない冷めた空気。

率直に言ってドン引きしている人のほうが多い。

サイレントマジョリティの本音はそこにある。

「反戦」や「平和」という誰も反対しづらい言葉を掲げながらその裏で特定のイデオロギーに染まっていく。

あるいは、そうと知らずに利用されていく。

それを見ているファンや一般の視聴者は、言葉にしないだけで気づいている。

かっこよくない、と。

PRESIDENT Onlineの記事でも触れられているように日本では芸能人が特定の政党支持を公にすると「自分が支持している政党と違うから」という理由でファン離れが起きる。

これは日本特有の文化的背景もあるけれど、それだけじゃない。

わたしたちが嫌悪感を覚えるのは政治的発言そのものではなく「利用されている構図」の方。

純粋な問題提起なのか、それとも特定政党のプロパガンダなのか。

その境界線が曖昧なまま著名人の名前と影響力だけが消費されていくことへの違和感。

フランク・ザッパが50年前に見抜いていたこと

ここで思い出すのがフランク・ザッパという人物。
1960年代から70年代、多くのロックミュージシャンがベトナム反戦を歌っていた時代にザッパはこう言い放った。

「60年代にたくさんの人間が平和の歌を歌ったが、それで何か起こったか? 俺はデンタルフロスについての歌を書いたが、それで誰かの歯が綺麗になったか?」

痛快すぎる。
この切り返しには音楽のプロパガンダ化への徹底した拒絶が込められている。

ザッパは自らを「実務的保守主義者」と呼んだ。

「社会を変えたいなら、まず投票に行け、自分でビジネスを学べ」と若者に説いた。

「デモ行進や反戦歌で世界が良くなる」と信じるヒッピーたちを「甘い幻想」とバッサリ斬った。

音楽は「思考を刺激する娯楽」であって「社会の処方箋」ではない。

ザッパのこの考え方、いま読むとものすごく現代的。

山口一郎が「歌って平和になるんだったら、それはやるよ」と語ったのと、ザッパが「デンタルフロスの歌で誰の歯が綺麗になった?」と皮肉ったのは、50年の時を超えて同じことを指している。

音楽には限界がある。

でも、その限界を正直に認められるかどうかが誠実さの分かれ目。

山口一郎のように「わからないから語れない」と正直に言えるミュージシャンは信頼できる。

逆に、ろくに勉強もせず特定政党の機関紙に登場して「反戦」「平和」を連呼する著名人はかっこいいどころか痛々しい。

音楽で世界は変わらない。

でも、音楽は人の心に寄り添える。

その違いをわかっている人の歌だけがわたしたちの胸に届く。

共産党に毒され広告塔に利用されるミュージシャンではなく自分の足で立って、自分の言葉で葛藤を語れるミュージシャンの姿を、わたしたちはちゃんと気づいている。

どちらが本物か静かに見ている多くの国民がいることを忘れないでほしい。

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