
「5万人が集まった」
この数字をあなたは信じられるだろうか。
5月3日の憲法記念日、東京・有明の東京臨海広域防災公園で「2026憲法大集会」が開かれた。
主催者発表によれば参加者はなんと約5万人。
「憲法守れ」「退陣、退陣、高市政権」と声を上げたという。
共産党の田村智子委員長が登壇し高市早苗総理を激しく批判。
社民党やれいわ新選組の代表者も次々と壇上に立った。
一方で立憲民主党は登壇せずメッセージを寄せるにとどまっている。
さて、ここでまず立ち止まりたい。
「5万人」という数字、本当だろうか?
毎度おなじみ「主催者発表」のカラクリ
東京臨海広域防災公園の総面積は約13.2ヘクタール。
ただし、そのすべてが集会に使えるわけではない。
建物や施設、通路を除けば実際に人が立てるスペースはかなり限られる。
ちなみに東京ドームのコンサートの満席は約5万人。
あの巨大な屋内空間にぎっしり人を詰めてようやく5万人。
屋外の公園で同じ人数が集まったら、どれほどの密集状態になるか想像してみてほしい。
ネット上では動画や写真をもとに「実際は1万5千人程度では」という検証が瞬く間に広がった。
SNSの時代に数字のサバ読みはもう通用しない。
会場の映像を見れば、5万人にはほど遠いスカスカぶりが一目瞭然。
こういった主催者発表の水増しは実はこの手の集会では毎度おなじみの光景。
昨年は3万8千人と発表していたから「今年は大幅増」というストーリーを作りたかったのだろう。
けれど動画も航空写真もある時代に嘘は一瞬でバレてしまう。
プロ野球の試合だって、いまは実数発表が主流になりつつある。
アイドルのライブですら水増しをやめる流れのなかで、政治集会だけが盛りに盛った数字を堂々と発表する。
なんとも時代遅れで滑稽としか言いようがない。
むしろ「1万5千人集まりました」と正直に言ったほうがよほど信頼感が増すのに。
数字をごまかした瞬間、主張そのものの信頼性まで道連れになる。
そのことに、どうして気づかないのだろう。
叫べば叫ぶほど離れていく国民の心
田村委員長の演説内容も、耳を疑うものだった。
「自ら台湾発言で中国との関係を最悪にして、危機を煽って軍拡を煽る」と高市政権を批判。
つまり、中国との関係悪化の責任は日本側にあるという主張。
ちょっと待ってほしい。
台湾海峡で軍事演習を繰り返しているのは中国であって日本ではない。
尖閣諸島の周辺海域に連日のように公船を送り込んでいるのも中国。
どちらが「危機を煽って」いるのかふつうの国民ならすぐにわかる話。
こうした認識のズレこそが護憲派集会が一般の人々の共感を得られない最大の理由だとわたしは思う。
護憲派の人たちは「圧倒的な世論を作る」と意気込んでいたけれど実態は逆。
こういう集会をやればやるほど、ふつうに暮らしている多くの国民、いわゆるサイレントマジョリティはドン引きしてしまう。
なぜか。
理由はシンプルで「改憲=戦争」という極端な論法があまりにも現実離れしているから。
安全保障環境が厳しさを増すなか、時代に合わせた法整備の議論をすること自体は至極まっとうなこと。
それを「戦争する国になる」と飛躍させるロジックに多くの人がもう付いていけなくなっている。
「退陣、退陣、高市政権」というコールも、外から眺めるとかなり異様。
選挙で選ばれた政権に対して、集会で退陣を叫ぶだけで何が変わるというのか。
不満があるなら選挙で民意を示すのが民主主義の基本。
各種世論調査でも憲法改正に賛成する国民は6〜7割にのぼるという現実から、護憲派はどうしても目を背けたがる。
もっと言えば憲法改正の手続きには国民投票が必要。
仮に改憲発議が行われても国民が「ノー」と言えば否決される仕組みがちゃんとある。
本当に改憲反対が多数派なら国民投票で堂々と否決すればいいだけの話。
なのに、なぜそこまで国民投票を恐れるのか。逆に不思議。
結局のところ護憲派が恐れているのは「国民投票で賛成多数になること」ではないだろうか。
自分たちが少数派であるという現実に向き合いたくない。
だからこそ参加者数を盛り、声を大きくし「国民の圧倒的多数派を作る」と叫び続けるしかない。
けれど、そのやり方は完全に逆効果。
声が大きければ大きいほど、ふつうの国民は距離を置く。
太鼓を叩いてシュプレヒコールを上げるスタイルに若い世代はとくに拒否感をもっている。
わたしは特定の政党を支持しているわけではないし、憲法改正の中身についてはしっかり議論すべきだと思っている。
でも、こういう集会の光景を見るたびに議論以前の問題を感じてしまう。
数を盛る、現実を歪める、感情で押し切ろうとする。
それはもう「対話」ではなく一方通行の叫び。
メディアもまた問題で主催者発表の「5万人」をそのまま見出しに載せる報道姿勢には疑問を禁じ得ない。
「主催者発表で」と注釈をつけてはいるものの読者に与える印象は「5万人の大集会」。
裏を取らない報道は、報道と呼べるのだろうか。
サイレントマジョリティはこうした欺瞞をとっくに見抜いている。
声なき多数派の冷めた視線に護憲派はいつになったら気づくのか。
わたしたち一人ひとりの暮らしを守るために、どんな安全保障が必要なのか。
大切なのは冷静な事実にもとづいた議論。
盛った数字と絶叫ではこの国の未来は一歩も前に進まない。



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