
外国の国旗を傷つけたら罰せられるのに自国の日の丸には何の保護もない。
この不思議な”ねじれ”をあなたはご存じだろうか。
自民党は4月9日党本部で「日本国国章損壊罪」の創設に向けたプロジェクトチーム(PT)の会合を開いた。
ところが、この場で異論を唱えたのが岩屋毅前外相。
「立法事実がない」「政治的アピールのための立法だ」と真っ向から反対し
会合後の取材でもその姿勢を崩さなかった。
わたしはこのニュースを読んで率直にモヤモヤした。
国旗に対する考え方は人それぞれ。
けれどそこに法の空白があること自体はやっぱり気になる。
そもそも、なぜ日の丸だけ”無防備”なのか
刑法92条には「外国国章損壊罪」がある。
外国に対して侮辱を加える目的でその国旗や国章を壊したり汚したりすれば、2年以下の拘禁刑か20万円以下の罰金。
ところが、日本の国旗にはこれに相当する条文がない。
他人の持ち物なら器物損壊罪で対応できる。
でも自分が買った日の丸を侮辱目的で破いても、いまの法律では何の罪にもならない。
世界を見渡すと、フランスやドイツ、イタリア、中国、韓国など主要国には自国旗の損壊に対する罰則がある。
アメリカは少し事情が違って連邦最高裁が国旗焼却を表現の自由として認めた判例があるけれど、それでも州レベルでは規制が残る場所もある。
つまり日本のように自国旗だけ丸腰という国は先進国の中ではかなり珍しい。
この事実を知ったとき、わたしは素朴にびっくりした。
外国の旗は守るのに、自分たちの旗は守らない。
そんな法体系どこか歪んでいないだろうか。
今回のPT設置は自民党と日本維新の会の連立合意書に「日本国国章損壊罪の制定」が明記されたことがきっかけ。
3月の党首会談でも改めて確認され松野博一座長のもとで議論が始まった。
背景には、こうした法の空白への問題意識がある。
岩屋氏の主張と、食い違うPT内の空気
さて話を会合に戻そう。
岩屋氏は会合後、記者団に対してこう語った。
「『立法事実がある』と言った人はいなかった」
つまり国旗が実際に損壊される事件があちこちで起きているわけではないだから法律は不要だと。
さらに「一部の人々の心情に訴えるための立法は
内心の自由、表現の自由に照らして適切ではない」とも述べた。
萎縮効果を生むという懸念まで示している。
一見するともっともらしい。
確かに日の丸が毎日どこかで破られているようなニュースは聞かない。
ところがここで見逃せない事実がある。
PT事務局長の鈴木英敬衆院議員は岩屋氏の発言を真っ向から否定した。
「立法事実がないと言った人は1人だけだった」
「いまはそもそも立法事実の議論をしていない」
12人が発言した会合のうち大半が「なんらかの法制化が必要」と述べたという。
表現の自由を損なわず思想・良心の自由にも踏み込まない形での法整備について
おおむね意見が一致していた。これが鈴木氏の説明。
岩屋氏と鈴木氏、同じ会合に出ていたはずなのにまるで別の会議の報告を聞いているよう。
この食い違いがなんとも気持ち悪い。
記者団が岩屋氏に「表現の自由であっても国旗を傷つける行為が許されるわけではないのでは」と問うたとき
岩屋氏は「すべての権利は無制限ではない。公共の福祉に照らさなければいけない」と答えている。
あれ?それならなおさら法制化の余地を認めているようにも読める。
自分の論理が自分の結論と噛み合っていない。
そこに引っかかりを感じたのはわたしだけだろうか。
もうひとつ率直に思うことがある。
国旗損壊罪を「政治的アピール」だと言い切る岩屋氏だが
その反対姿勢こそが別の層への「政治的アピール」に映ってしまう危うさ。
そこに本人は気づいているのだろうか。
ただ、岩屋氏の懸念をすべて切り捨てるつもりはない。
法律は一度できたら独り歩きすることもある。
「侮辱目的」の認定が曖昧になれば思いもよらぬ場面で市民が委縮する可能性はゼロとは言えない。
だからこそ、条文のつくり方には細心の注意が必要になる。
わたしが望むのは感情論でも政治的駆け引きでもない、地に足のついた議論。
外国旗は守られて自国旗だけ素通り、この矛盾をどう解消するのか。
表現の自由をどこまで尊重し、どこからが公共の福祉に抵触するのか。
まさにいま国会の中で丁寧に詰めてほしい論点ばかり。
それなのにテレビの報道番組ではこの話題がほとんど取り上げられない。
海外の国旗保護制度との比較、刑法92条との矛盾、PT会合での意見の内訳。
こうした核心部分を、どれだけの人が知っているだろう。
報じるべきことを報じない「報道しない自由」がここでもひっそり発動されている気がしてならない。
国旗はただの布ではない。
その国に暮らす人々の歴史や誇りがあの白地に赤く染まった丸に宿っている。
それを侮辱目的で踏みにじる行為まで「自由」で片づけてよいのか。
逆に法律で縛ることが国民の心を窮屈にしないか。
どちらの問いにも真剣に向き合うべきとき。
党内で意見が割れること自体は健全だと思う。
大事なのはその議論の中身がわたしたち国民にきちんと届くこと。
岩屋氏の反対も鈴木氏の推進も、まずは正確に伝えられてこそ意味がある。
日の丸をめぐるこの議論を静かに
でもしっかり見届けたい。



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