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共産党・小池晃氏の定例会見の辺野古死亡事故問答が映す当事者意識なき政党の致命的な他責思考

女子高生と海

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共産党の地方組織もこの協議会に加盟していたことが明らかになっている。

あれから1か月以上が経った4月27日共産党の小池晃書記局長が記者会見に臨んだ。
そこで飛び出した言葉に思わず耳を疑った。

「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方がね、ああいった形で命を落とされるというのは絶対あってはならないこと」

一見すると、痛みに寄り添うような言葉に聞こえる。
けれど、遺族がnoteに綴った事実を知れば、この発言がいかにずれているかがわかる。

武石知華さんが辺野古での乗船プログラムを含む「Fコース」を選んだ理由は、平和学習への熱意などではなかった。
ご家族にこう話していたという。

「美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗な珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」

友だちと海を眺めたい。ただそれだけの17歳らしい素朴な動機だった。
乗る船が「抗議船」であることすら事前に知らされていなかったと遺族は明かしている。

それなのに小池氏は「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方」とまとめ上げた。

これは事実誤認というより、もっと根深い問題ではないだろうか。

亡くなった少女の動機を自分たちの文脈に読み替えてしまうその無意識の政治利用にぞっとする。

お詫びの言葉はあったでも遺族には届いていない

記者会見では複数の記者から厳しい質問が相次いだ。

「普通の人から見たら、お詫びもまともにできない。取り返しのつかないことをやっているのに、社会常識とかけ離れているように見える」

「要するに高校生が死んじゃったんですよ。この組織自体をまずゼロにしろぐらいの話がなかったら、共産党が失っているものはすごく大きい」

鋭い指摘だった。

しかし小池氏の返答はこうだ。

「お詫びしていないって結構ネット上などで言われているんですけど最初の段階から反省とお詫びはお答えしていますよ」

「ヘリ基地反対協議会としての謝罪は事故の当日に行われています」

たしかに記者会見の場では「お詫び」という言葉を使っていたのかもしれない。

事故当日に協議会が現地で記者会見を開いたことも事実だろう。
でも問題はそこじゃない。

遺族のnoteにはこう記されている。
事故後、ご遺族が沖縄に滞在していた間、ヘリ基地反対協議会からは直接の謝罪も面会の問い合わせも、手紙も弔電も何ひとつなかった。

記者会見でお詫びの「言葉」を並べることと、遺族の前に出向いて頭を下げることはまるで意味がちがう。

小池氏自身も会見の中で「結果としてお詫びできていなかった」と認めてはいる。

にもかかわらず記者に対して 「事実を踏まえた報道をお願いしたい」 と語気を強めたのだからちぐはぐと言うほかない。

遺族が求めているのはカメラの前の「表明」ではなく目の前で交わされる言葉。

その当たり前のことがなぜできなかったのか。

小池氏は、遺族へのアプローチを「試みたが果たせなかった」と説明した。

詳細は「私の口から言うべきではない」とかわした。

けれど遺族のnoteを読めば、問い合わせすらなかったことが書かれている。

どちらかの認識が決定的にずれている。

「反論じゃありません」は反論そのもの

会見の終盤、記者が 「ご両親の思いとだいぶ違うんじゃないですか」 と食い下がった場面があった。

小池氏はこう締めくくっている。

「反論とかじゃありません。事実の問題としてぜひそこは押さえた上での対応をしていただければ」

この言葉は報道に対する注文そのものだと感じた。

遺族の痛みに向き合うべき場で、メディアへの牽制を優先する。

それこそが当事者意識の欠如を象徴している。

さらに小池氏は平和教育そのものについても玉城デニー知事の発言を引きながら 「沖縄における平和教育はかけがえのないもの」 と擁護した。

平和教育の意義を語ること自体は否定しない。

ただ、いまこの瞬間に語るべきことだったのか。

事故で娘を失った家族が運航団体の正体も知らされず謝罪すら受けていない。その状況で 「平和教育は守り続けたい」 と力説されても遺族の胸にどう届くのだろう。

順番が決定的にまちがっている。

わたしは特定の政党を支持していない。
だからこそこの一件を 「共産党だから叩く」 という構図にはしたくない。
でも事実を積み上げて見ていくと、やはり浮かび上がるのは組織としての鈍さだ。

亡くなった知華さんのお父さんが綴るnoteを小池氏は読んだのだろうか。
あの文章を読めば 「お詫びは表明してきた」 という一言がいかに空虚かわかるはずだ。

謝罪とは言葉を発することではない。
相手の痛みの前に立つ覚悟のこと。

それが見えない会見をわたしたちはしっかり記憶しておかなければならないと思う。

玉城デニー知事選出馬声明で「偏向的な平和教育はない!」と絶叫 17歳の命は黙祷のみで済ます
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