
あの17歳の女の子は、珊瑚礁が見たかっただけだった。
3月16日沖縄県名護市辺野古沖。研修旅行のFコースを選んだ同志社国際高校2年、武石知華さんが乗っていた抗議船「平和丸」が転覆した。
波浪注意報の出ていた海。引率教員は不在。安全判断は船長まかせ。
そんな状況で乗せられた小型ボートが沈み、知華さんは17歳の命を絶たれた。
あれから1カ月が過ぎた。
国会でついに「武石知華さん」と呼ばれた日
4月16日、参院文教科学委員会。国民民主党の伊藤孝恵参院議員が質問に立った。
「あえて今日は女子生徒とは申し上げません。武石知華さんと申し上げさせていただきます」
この言葉だけで、もう胸がいっぱいになった。ご遺族が実名報道を選んだ。その決断の重さを、伊藤議員はしっかり受け止め、国会という公式の記録の場に知華さんの名前を刻もうとした。当然のことのようで、でも実はものすごく大切なことだと思う。ひとりの人間が、この世に確かに存在していた。そのことを忘れさせてはいけない。
伊藤議員はかつてJR福知山線脱線事故を現地で取材したジャーナリスト出身だ。「なぜ起きたのか、二度と起こさないために何が必要か」という問いを、自らの上司夫妻を亡くした経験とともに語った。その視点はこの委員会でも貫かれていた。
知華さんのお父様は事故の12日後から、投稿プラットフォーム「note」で情報発信を続けている。お嬢さんへの愛情、学校への信頼と裏切られた無念、そして真相解明への静かな意志。伊藤議員はそのnoteを委員会に配布し、松本洋平文科相に問いかけた。「大臣も読んだか。どこに注目したか」と。
松本大臣の答弁は、意外なほど率直だった。「お嬢様への深い愛情を感じた。そして知華さんとお父様が学校に強い信頼を寄せていた一方、それがこういう結果に結びついてしまった。そこが大変強く印象に残っている」。学校への信頼が、この悲劇の根っこにある。それを大臣自身が認めたことは、今後の制度論議につながる重要な証言だとわたしは思う。
伊藤議員の追及はそれだけにとどまらなかった。
私立学校への自治体の監督権限が機能していない問題、平和学習に安全確保の報告義務がない問題、教育委員会という「目」がない私学の不透明性。
制度の穴を一つひとつ丁寧につまみあげ、「学校の主体性に一定の歯止めをかけるために報告義務を課してはどうか」と迫った。
松本大臣は「制度面も含めて全力を尽くす。それが今回の事故の教訓を将来に生かす意味だ」と述べ、再発防止への取り組みを約束した。伊藤議員はさらに、文科省の現地調査を受けて集中審議を行うよう委員長に求めた。
こうした議論が国会でされていること、その事実にはほんの少しだけ希望が持てる。
「補償が十分できるとは思っていない」と言い放った抗議団体の重さ
事故から1カ月となった同じ16日、転覆した2隻を運航する「ヘリ基地反対協議会」の仲村善幸共同代表が産経新聞の取材に応じた。「2隻とも保険に入っているが、補償が十分できるとは思っていない」。その一言が、あまりにも重すぎる。
保険には入っていた。でも十分には補償できない。知華さんが失った17歳の未来に、そのお父様が言葉を選びながらnoteに綴る無念に、いったいどんな補償が「十分」なのかという話は置いておくとしても運営側の口から「足りない」という言葉が出てきた事実は直視しなければいけない。
仲村氏は謝罪の意向を示し書面を同校に送付したという。ただ学校側からの返事はまだない。弁護士を通じた調整が続いている。誰もがまだ答えを持てていない。残されたのは知華さんの不在だけだ。
そこへ同志社国際高校校長の始業式での言動だ。「今回の事故の直接的な原因は私たちにあるわけではない」「学校はリスタートする」。黙祷はなかった。
伊藤議員が委員会で激しく批判したように、わたしも読んで耳を疑った。リスタート。そんな言葉が教育者の口から出てくることへの驚きと怒りは、どれだけ書いても書き足りない。知華さんもお父様もリスタートなんてできないのに。
本当に腹が立つのはここからだ
この事実を産経新聞以外のオールドメディアはほとんど報じていない。
TBS系「ひるおび」が続報をスルーし続けたことに視聴者から不信感が集まった。BPOには「放送局全体で報道する回数が少ない」との指摘が多数寄せられ、4月10日の放送倫理検証委員会でも取り上げられた。
元朝日記者が「なぜ産経以外は報じないのか」と問い、他メディアの沈黙そのものがニュースになるほど今回の逆メディアスクラムは異様だ。
なぜ報じないのか。
この事故の運航主体が「辺野古新基地建設反対」を掲げる団体だからだろうか。その「不屈の精神」「平和的手段」を長年持ち上げてきたメディアにとって、抗議船の転覆は都合が悪いのだろうか。
17歳の女の子が死んでいる。それでも報じないという判断が、もしそういう理由によるものならそれはジャーナリズムの完全な敗北だ。
知華さんのお父様がnoteで発信し続けている理由は明確だ。「お嬢様のことを正しく伝え、誤情報や誹謗中傷を訂正し、事実解明につながる情報を広く収集するため」。
メディアが仕事をしないから、遺族が自ら立ち上がらなければならない。慟哭の中で、それでも理知的に愛情深い言葉を紡ぎながら。
その姿を前にして大手のテレビカメラは黙って目を閉じている。
わたしはひとりの日本国民として怒りを通り越して悲しくなる。
報道の使命とは何だったのか。視聴者の信頼とは何のためにあるのか。特定の団体やイデオロギーを守るために17歳の少女の死を風化させていいのか。
伊藤孝恵議員は国会記録に知華さんの名を刻んだ。立法府が動き始めた。
でも、それを伝えるメディアがいなければ国民に届かない。制度が変わるための世論が形成されない。だから逆メディアスクラムは二重の意味で罪深い。
今、わたしたちにできることはこうした事実をひとりでも多くの人に伝えることだ。SNSで、口コミで、会話で。
オールドメディアが沈黙するなら国民がその穴を埋めるしかない。知華さんのお父様のnoteを読んでほしい。伊藤孝恵議員の質疑を見てほしい。
そしてこの事故がまだ終わっていないということを忘れないでほしい。
知華さんが見たかった珊瑚礁は今日も辺野古の海の底で揺れている。



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