
ロックに政治を持ち込んでいるのはいったいどちらなのか。
ここ数日、高市早苗総理と芸能人・ミュージシャンとの交流が立て続けに話題になっている。
4月10日にはイギリスの伝説的ハードロックバンドDeep Purpleが首相官邸を表敬訪問。
12日には世良公則さんが自民党大会でサプライズ出演。
そして13日には、タレントでプロデューサーのMEGUMIさんとの対談が行われた。
どれもほほえましいニュースだと思う。
でもXやWEBメディアではこれらの出来事に対して
まるで「悪いことが起きた」かのような騒ぎが巻き起こった。
叩かれたのは高市総理だけじゃない。
交流した芸能人たちまでボロクソに批判されている。
この光景に強烈な違和感を覚える。
布袋寅泰さんの投稿削除が映し出す「空気の暴力」
Deep Purpleの表敬訪問を受け布袋寅泰さんが11日にXでこう投稿した。
「未だかつて日本の首相がロックンロールと交わったことがあったか? 素晴らしいことなんだよ」。
ロックを愛する1人のギタリストとしての率直な喜びだったと思う。
しかしこの投稿に「ロックは反権力だ」「太鼓持ちか」と批判が殺到。
布袋さんは13日までにこの投稿を削除してしまった。
さらにLOVE PSYCHEDELICOのNAOKIさんが追い打ちをかけるように 「ハッキリ言っておきたい。全く素晴らしいと思わない。芸術に政府のお墨付きなんていらない」とXに投稿。
「ディープパープルをダシにすり寄って来る総理も政府にすり寄ってくロックミュージシャンも好かん」とまで言い切った。
ちょっと待ってほしい。
Deep Purpleは自分たちの意思で来日し駐日英国大使とともに官邸を訪問している。
高市総理がむりやり呼びつけたわけじゃない。
ロック好きで知られる一国のリーダーにイギリスのバンドが会いに来る。
これのどこが「すり寄り」なのだろう。
しかも「ロックは反権力であるべき」という主張こそ音楽に政治を持ち込んでいる。
ポール・マッカートニーもエルトン・ジョンもナイトの称号を受けている。
彼らは「権力にすり寄った」のか。
そんなことを言う人はいない。
批判の矛先が「高市総理だから」という党派性に基づいていることはもう隠しようがない。
布袋さんが自分の素直な気持ちを投稿し圧力で削除に追い込まれる。
これこそ「表現の自由」への脅威だとわたしは思う。
「ロックの精神」を語る人たちが同調圧力でひとりのミュージシャンの口を封じている矛盾。
なんとも皮肉な話。
MEGUMIさんも世良公則さんも標的に~繰り返される「権力に近づいた罪」
世良公則さんは4月12日の自民党大会で代表曲「燃えろいい女」を「燃えろサナエ〜」と替え歌にして披露した。
会場は大いに盛り上がったという。
ところがXでは「音楽に政治を持ち込むな」「残念すぎる」と失望の声が並んだ。
世良さんは以前から高市総理と交流があり2021年と2024年の総裁選でも対談を行っている。
自分の信念で行動しているミュージシャンをなぜ外野がこき下ろせるのか。
そして13日にはMEGUMIさんが自民党本部で高市総理と対談。
自民党の広報誌の企画として女性リーダーとしての在り方や美容について語り合った。
音楽プロデューサーの松尾潔はXで 「MEGUMIとの対談が34分間なのに、パキスタン首相との電話対談が15分間」と
あたかも総理が外交をおろそかにしているかのような批判を展開。
左翼系WEBメディアも「芸能人のイメージ利用だ」と一斉に書き立てた。
でも冷静に考えてみてほしい。
広報誌の対談企画と首脳間の電話会談はそもそも性質がまったく違う。
それを並べて「外交軽視」と印象づけるのは明らかなミスリード。
MEGUMIさんは呼ばれた側であって責められる理由がどこにもない。
こうした批判に共通するのは 「高市総理に協力的な態度を見せた著名人は叩く」という一貫した党派性。
左派寄りの政治家と芸能人が交流しても、こんな騒ぎにはならない。
過去を振り返っても立憲民主党や共産党の集会にミュージシャンが参加して炎上したことがあっただろうか。
記憶にない。
ここではっきり言いたいことがある。
Xで高市総理と芸能人の交流を叩いている人たちは
もし高市総理がイーロンマスク氏と対談したらXをやめるのだろうか?
マスク氏はXのオーナー。その人物と日本の総理が会談しても彼らは同じプラットフォームで文句を言い続けるはず。
結局は批判したいだけだ。対象が「高市早苗」であることが彼らの怒りの本質。
わたしは特定の政党を支持していない。
だからこそこの異常な光景がよく見える。
ミュージシャンが総理と会っただけで「裏切り者」扱いされる社会は息苦しい。
好きな音楽の話をして笑い合うことすら許されないなんてどこの全体主義国家だろう。
本当にロックの精神を語りたいなら空気を読まずに自分の意見を貫くことこそがロック。
布袋さんの投稿を消させた側ではなく 「素晴らしいことだ」と素直に言えた布袋さんのほうがよほどロックだったのではないか。
批判する自由はもちろんある。
でもその批判が特定の政治的立場に基づく選択的な怒りであるなら
それはもう「批評」ではなく「党派活動」と呼ぶべきもの。
わたしたちはその違いを見抜く目をしっかり持っていたい。


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